「最期の迎え方」についてちょっと考える
マーケティング営業部の古窪です。
メリークリスマス。皆様、楽しいクリスマスをお過ごしでしょうか? クリスマスになると、頭をよぎる話があります。私は小学生の頃、七面鳥をペットとして飼っていました。この話をすると、必ず「クリスマスに食べたんでしょ?」とみんなに言われます。ペットですので食べたりはしないんですが、七面鳥を飼ってた=クリスマスにおいしく食べちゃう・・・というイメージはみんなお持ちのようです。七面鳥をペットで飼うのがレアなので仕方ないかもしれません。
さて、話は変わりますが、先日、流通ジャーナリストの故・金子哲雄さんの「僕の死に方~エンディングダイアリー~」という本を読みました。詳細は省きますが、本の帯の言葉を借りると、金子さんが「命の始末」と向き合った姿が、本人の言葉で描かれています。「最期の時」に向かって奥さんと話し合い、準備をする金子さんの姿は、非常に考えさせられるものがありました。
私は仕事を通して、多くの先生方から「残る人のためにも、自分の意思を示すためにも遺言は大事だよ」と教えていただいて、遺言は書きたいと思っています。ただし、自力で遺言をどんなふうに書いていいかわからないので、先生方プロのお力添えが必須ではありますが・・・。
最近では、遺言まではいかなくても「エンディングノート」といわれる、人生の終末期の希望を記しておくものもあるそうです。「人生の最期について、軽々しく口に出すものではない」と不謹慎に思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、私は、「自分の最期をどのように迎えたいか?」を考えることや形にすることは、「どのように生きていきたいか?」と考えることと近い感じがしています。結構、大事なことではないかと・・・。
とは言っても、まだまだ私自身は身近に最期を感じる体験はありませんし、平均寿命くらいは生きたいと思います。だけど、いつ何があるかわからないのが人生ですし、「自分の最期について1年に1度くらい考えるのは悪くないな~」と金子さんの本を読みながら思った次第です。「遺言を書きたい」と思った時には、先生方にご相談にいきますので、よろしくお願いします。