地名の「町」について
ご無沙汰しております。漢字と地名担当の総務部・網本です。今日は地名の「町」についてのお話をします。
「町」という漢字は、「田」+「丁」という成り立ちで、田んぼがあぜ道で区切られている状態が由来だそうです。「境界が区切られた土地の区画領域」という感じですかね。そこから尺貫法では長さ(距離)と面積の単位にもなりました。そして商業地や市街地といった意味を持つようになります。
現在では「町」は地名では行政町(市町村)と「市町村の区画」の二通りに使われています。いわゆる「大字」(おおあざ)は後者ですね。
地名の「町」を「ちょう」と読むか。「まち」と読むか。それぞれの市町村や地名ごとに決まってはいますが、はっきりした法則はありません。愛媛県の場合、市町村の「町」はすべて「ちょう」です。松山市の「町」は約360ほどありますが、「まち」と読むのが148、「ちょう」と読むのが45で「まち」優勢です。残りの170ほどには「町」という字が付いていません。住居表示が施行されており、次に「丁目」が続く場合に「町」を含まない傾向はありますが、これもはっきりした法則ではありません。
松山市の隣に伊予郡松前町という行政町があります。「まさきちょう」と読みます。松前から松山へ移り松山城を作った加藤嘉明が、松前から連れてきた人たちを住まわせたという松山市松前町という「町」があります。こちらは「まさきまち」と読みます。なかなかややこしいですね。これらは、町村制の施行とともに作られたものです。大字は合併する前の村の名前を残しています。しかし町村制以前に、「町」という字は商業地や市街地・賑わっている場所を表すのに使われることがありました。
リーガル本社のある伊予郡砥部町にかつて原町村(はらまちむら)という村がありました。砥部町と合併して今は砥部町原町と上原町になっています。賑やかな地域で、原町には登記所があります。上原町字面を見ると「うえはらちょう」と読みたくなりますが「かみはらまち」です。しろくまピースのいる県立とべ動物園があります。
その少し近くに、現在は松山市になっている浮穴郡恵原町村(えばらまちむら)という村がありました。ここも栄えていた地域なので、村名に「町」の字がついています。後に周囲の村と合併して荏原村となった後に、松山市と合併して、元々の村名が大字となりました。松山市恵原町です。村→町にすると「恵原町町」になってしまいますが、さすがにそれは避けたということでしょう。
愛媛県には他にも上浮穴郡に久万町村、小田町村がありました。現在は上浮穴郡久万高原町久万、喜多郡内子町小田と「町」は付かなくなっています。面白いのが久万で、合併して久万高原町になる前には「上浮穴郡久万町久万町」でした。読みは「くまちょう・くままち」です。行政町は「ちょう」ですが、大字は元が久万町村ですから「くままち」、というわけです。
いかがでしょうか。今回の結論は「町」を「まち」と読むか「ちょう」と読むかは決まっているけれど、法則は無い。です。ありがとうございました。